かつて「節税の王道」と呼ばれた海外中古不動産投資。特に米国や英国の木造住宅は、日本の税制上の「法定耐用年数」と現地の「実質的な建物価値」の乖離(アービトラージ)を利用し、短期間で多額の減価償却費を計上するスキームとして広く活用されました。
しかし、2021年(令和3年)度の税制改正により、このスキームは事実上封じ込められています。現在、多くの投資家や企業のグローバル人事担当者が直面しているのは、「保有中の赤字が通算できないなら、せめて売却時の損失(出口)で給与の税金を取り戻せるのか?」という疑問です。
結論から申し上げます。海外不動産の売却損を、給与所得と損益通算して税還付を受けることは、原則として不可能です。
本稿では、その法的根拠と、改正法に含まれる救済措置(損益通算の特例計算)、そして円安環境下における具体的な出口戦略について、実務的な観点から解説します。
1. なぜ「売却損」は給与と通算できないのか?
日本の所得税法は、所得の性質に応じて課税方法を区分しています。給与所得や事業所得、不動産所得(インカムゲイン)は「総合課税」として合算されますが、土地や建物を売却して得た譲渡所得(キャピタルゲイン/ロス)は「分離課税」として扱われます。
分離課税の壁
不動産投資のリスク(価格変動)は投資家自身が負うべきものであり、その損失を給与所得の税金還付という形で補填することは制度上認められていません。
したがって、海外不動産で5,000万円の売却損が出たとしても、高額な給与所得の課税所得を1円も減らすことはできません。
「自宅の買い替え(居住用財産の買換え特例)」であれば例外的に損益通算が認められるケースもありますが、節税目的で保有していた海外の投資物件や別荘は「居住の用」に該当しないため、この特例の適用もまた不可能です。
2. 2021年改正法の「救済メカニズム」を理解する
ここからが本稿の核心です。売却損そのものの通算はできませんが、2021年改正法(措置法41条の4の3)には、保有期間中に損益通算を禁じられた減価償却費を「売却時に経費として復活させる」仕組みが組み込まれています。
「なかったもの」とされた損失の行方
改正法では、海外中古建物から生じる不動産所得の損失のうち、減価償却費相当額は「生じなかったもの」とみなされます。しかし、この切り捨てられた金額は消滅するわけではありません。
売却時の譲渡所得の計算において、以下の式が適用されます。
つまり、「過去に通算できなかった減価償却費を、減価償却累計額から控除する(=取得費を増やす)」という調整が行われます。これにより、売却益(譲渡所得)が圧縮され、結果として税負担が軽減される設計になっています。
具体的なシミュレーション
- 購入額:5,000万円
- 売却額:4,500万円(▲500万円の値下がり)
- 減価償却累計:2,000万円
- うち、損益通算不可額:1,500万円
▼ 通常の計算(救済なしの場合)
取得費:5,000万 - 2,000万 = 3,000万
譲渡所得:4,500万 - 3,000万 = +1,500万円(架空利益に課税!)
▼ 改正法の特例適用(正しい計算)
有効な減価償却:2,000万 - 1,500万 = 500万
取得費:5,000万 - 500万 = 4,500万
譲渡所得:4,500万 - 4,500万 = 0円(課税なし)
※実際には損をしているのに税金がかかるという事態を防ぎ、税務上の中立性が保たれます。
3. 出口戦略における2つのリスク
① 為替マジックの恐怖(円安の影響)
現在の歴史的な円安局面では、現地通貨ベースで損失が出ていても、円換算すると「利益」が出てしまうケースが多発しています。
譲渡所得は、売買それぞれの時点でのTTM(仲値)で円換算して計算されます。
例えば、1ドル110円で購入した物件を、1ドル150円で売却した場合、物件価格が10%以上下落していても、為替差益だけで数千万円の利益(譲渡所得)が発生する可能性があります。この為替差益には約20%の税金がかかるため、キャッシュフローがマイナスになるリスクを考慮しなければなりません。
② 「1月1日時点」の5年ルール
不動産の譲渡税率は、保有期間によって2倍近く変わります。判定基準は「譲渡した年の1月1日」である点に最大の注意が必要です。
| 所得区分 | 要件(譲渡年の1月1日時点) | 合計税率(住民税含) |
|---|---|---|
| 短期譲渡所得 | 保有期間が5年以下 | 39.63% |
| 長期譲渡所得 | 保有期間が5年超 | 20.315% |
※「満5年経った翌日に売る」のではなく、「6回目のお正月を迎えてから売る」ことが鉄則です。
4. 総括と提言
富裕層が保有する海外不動産の出口戦略は、単なる物件売却ではなく、高度な税務プロジェクトです。
特に企業のエグゼクティブや人事担当者は、以下の3点を確認する必要があります。
- 過去の申告書の精査:特例適用により否認された損失額(=将来の取得費)を正確に記録しているか。
- 二重課税の調整:米国不動産等の場合、現地での税金(Recapture Tax等)を日本の確定申告で「外国税額控除」として適切に処理できるか。
- コンプライアンス:5,000万円超の資産がある場合の「国外財産調書」の提出漏れはないか(罰則強化の傾向にあります)。
「今はもうできない」節税策に固執するのではなく、改正法を正しく理解し、適切なタイミングで出口を迎えることこそが、資産を確実に守る唯一の道です。


